■第六章■
01 人心収攬
 大盛況のうちに式典は滞りなく執り行なわれ、無事に終了を迎えようとしていた。
 各神官のもとへ信者達が集い、祈りの言葉のもと、愛らしい子供達から神の祝福を受ける儀式が始まった。
 大勢の信者が、各々の神官のもとへ己の意思で集うことが慣わしだったが、この日、信者の大半がオルレーヌの前に並んだ。
 どんな小さな式典も、神官長とその孫達のもとへ寄る信者が大半を占める中を、どういう訳か、今回は例の双子の人気が今一つ上がらないのに不満を隠し切れない様子ではあったが、それでもなんとか勤めを果たし終えた。
 その式典の最後を飾るのは、神の小さな御使いと言われる子供達のための儀式だった。信者達に多くの安らぎと、幸福感を与えるために、神官に供して仕えた子供達の中から、より優れた子供達を指名し、司祭長からその功績を称える紫のローブが送られる。
 紫のローブは、神官の中でもごく僅かな、洗練された知識と美貌を兼ね備え、なおかつ誰からも慕われる優しさと穏やかさを持っていなければ、与えられることはない、言わば幻に近いローブということになる。
 十年に一度のこの式典でさえ、最後にそのローブを授けられたのは、四十年も遡り、唯一ひとりの子供に与えられてから、指名された子供はいない。しかし、オニキスとオブシディアンの兄弟は、密かにこの初めて参加する式典で、四十年振りに栄よあるローブを纏えるのは自分達だと確信を持っていた。
 それだけに、見ず知らずの、今までに一度として神殿の催しにも祈りの席にも顔を見せたことのない、聞き覚えさえない名前が発表されたときの驚きは、只ごとではなかった。
 もちろん威厳ある深い声音に元気な返事を返したのは、フォルネウスとアタールの双子だった。
 彼等は半ば呆然とするオニキスとオブシディアンの前を、これ以上の名誉はないとばかりにほころんだ笑顔のオルレーヌを先導に、司祭長の座る前まで上り詰めた。
「この度の働き、誠に大儀でありました。ここに、あなた方の微笑みに、そして僅かな助言によって心が救われ、癒され、神の愛を深く感じとられた方々の感謝の言葉が寄せられております。我らが主に代わり、あなた方に深く感謝し、その揺るぎない愛と知性にローブを捧げましょう」
 大勢の人間が見守る中、二人の肩に司祭長自らの手でローブがかけられた。
「神に感謝し、これからも深い慈悲と安らぎに包まれますよう、願っています」
 その言葉を合図に、正面を向いた双子に、喚声ならぬ感嘆の息で誰もが見惚れた。
 輝く髪と、輝く瞳。それ以上に愛らしく、誰もが魅かれずにはいられないたおやかなに優しい微笑み。彼等の満たされた微笑みに、苦しみ、悲しみを忘れる。
 彼等が悲しげに瞳を潤ませたなら、その原因を作った己を責め、彼等が楽しげに振る舞えば、それを目にしただけで、心軽くいられる錯覚に陥る。
 しかし、今ここでこの双子に彼等が抱いたその幸福感は、竜王国で国民が持つ、竜王と竜王妃に向けるそれとほぼ同じであることを、バールベリトもアガレスも承知していた。
 まさにそれは国を統治するだけの術を心得た、竜王族の一員として、立派に勤めを果たしている。満足気に頷く兄の眼には、未だ幼い二人の雰囲気に、微笑ましさが浮いている。
 子供達が壇上を後にしても、その神韻に浸ったまま、暫くはその場を離れようとしなかった人波も、ようやく途絶え神殿はいつもの静けさを取り戻していた。
 一行は早々にも最初にオルレーヌと出会った部屋で、その日の成果に必ず訪れるだろう訪問者を待つ体制にあった。
「それにしても驚いたわ。まるで生前のライウェンとアタラクシアにそっくりなんですもの。血統って素晴らしいわ」
 その日の成果に一番満足しているオルレーヌが、なぜ生前と言うのか、それには理由があった。以前アラストールが暮らす竜王国は、いまと同じ名を持つ統治者がいたが、その王は暗殺され、その悲しみを罪にすり換えた竜姫も自らの命を断った。
 その後直ちに側近であったセティーソワルが竜王の姉、アクラシエルを代理に国を統治させ、国民に竜王ならびに竜姫は必ず戻られると発表し、人界に旅立ったが、再びもとの鞘に治まった二人を見ることなく、竜王を失い徐々に荒廃して行く国の、殺伐とした時代の中で、彼はその命に終止符を打たれた。そのために、以前の姿のみが彼女の記憶のすべてであり、今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。
 彼女の血族を褒める喜ばしげな声に、二人の子供達は照れたように微笑み合った。
 その直後、ドアがノックもなしに勢いよく弾み、先程呆然としていた様子の双子が、眉を吊り上げ肩を怒らせながら入ってきた。
「オルレーヌ、あの二人は何者なんだっ」
 兄のオニキスがまずは噛み付いた。どうやら最初の時もそうだったが、彼等は目的の対象以外には眼が行かないようで、この時も真っ直ぐオルレーヌを睨み、ヅカヅカと歩み寄った。
「あの二人とは?」
 分かり切ったことをわざとらしく惚けて聞き返す彼女の微笑みに、二人の兄弟は益々いきり立つ。
「ローブを、僕たちが授けられて当然だったローブを横取りしたあの双子だよ」
「少しくらい僕らに似ているからって、美しさも知性も、神に仕える仕事も、みんな僕らの方が優れているんだ。どうせその辺から連れてきた卑しい奴らなんだろう?」
「神殿じゃ見掛けたこともない、名前も聞いたことのないどこの馬の骨とも知れない奴らなんかに、あの紫のローブは似合わない」
「僕等にこそ似合うものなんだ」
 二人は交互に息もつかせぬ勢いで喋りまくった。
 その様子をうるさそうに明後日の方向を見つめながら半分程度にしか聞いていなかったオルレーヌが、勢いだけは勇ましい二人の子供が黙ったことを知ると、にーっこり微笑んで彼等を見下ろした。
「どこの馬の骨って、あの子達はれっきとした私の血族。よく御覧なさいな、あなた達が逆立ちしようと適わぬ美しさを感じられなくて? それに、あなた達に似ているのではなく、あなた達がたまたま似ていたってことを認識していただかなくてわね」
 彼女がゆっくりと指を彼等の後ろの方に向けた。
 そこで初めて一行と向き合うことになった彼等は、一瞬息を飲んだ。それほどまでに輝かしく、煌めいていた。
 その金の髪が、銀の髪が、後光を思わせるほどに純粋で、瞳が澄んだ清さを象徴している。
「フォルネウスと申します」
「アタールです」
 二人は極上の笑顔で、最も簡略されたごく自然で一般的な親愛の礼を送った。
 しかしそれはどんな王宮にも、どんなに立派な格式高い宴や舞踏会にもけして恥ずかしくないだけの、堂々とした立派な正式な挨拶であることは間違いなかった。
 彼等は恭しく礼を寄越した二人の手に、それぞれ紫のローブがあるのに気がついた。
「このローブは、僕たちには必要ありません。今日、大勢の方々に僕たちが接したのは、こんなローブが欲しいがためではありません」
 フォルネウスが微笑みを浮かべたまま、二三歩彼等に歩み寄る。
「そうですわ。あの方々は、みなさま心を病んでおられ、休息の場を欲しておりましたもの。私達はそんな彼等に、ささやかな手助けをしたに過ぎません」
 アタールひがその後に続いて並んだ。
「僕たちの両親は、皆と謁見するのは勤めであるがためではなく、その心に、その生活にささやかな支えを与えることを目的としているのだと申しました。ですから僕たちも、僕たちにできる範囲での手を延ばしただけ」
 ローブを見つめたまま、フォルネウスは歌うようにして語る。その様子をアタールが幸福に浸りきった微笑みで見つめた。
 背後で、扉の影にいた老人も、その二人の天使に視線を注いでいた。
 やがて老人は、何度も頷きながらゆっくりと、彼等の前に姿を現した。
「よくぞ申されました。それこそ神に仕える者。神の御心そのものですぞ」
「おじいさま……」
 例の黒い双子がゆっくりとその声の方を振り向き呟いた。
「これは神官長殿、こんな所へよくおいでくださいました」
 オルレーヌがゆっくり立ち上がり優雅な微笑みを投げた。
「フム、孫達が気になってな。よもやと思ったら案の定じゃ。しかし驚きましたぞ、これ程神に近い子供達がこの世におるとは思わなんだ。立派な教育を受けていらっしゃるのだろうのう」
 しみじみ語る老人は、先程からずっと寄り添うフォルネウスとアタールに注がれっぱなしだ。
「これは僕たちには必要ありません。ですからどうか、彼等がこのローブを纏うに相応しいと判断なさった時、その肩にかけて上げてください」
 フォルネウスはアタールから受け取った分も含め、二着のローブを差し出した。
「きっと、私達より似合う、素敵な神官になられるはずですわ」
 後ろでアタールも微笑み、受け取って貰うのを待っている。
「いや、しかし……」
「本当に必要ありませんの。私は今日をもって任を解いて頂き自由の身。彼等は訳あって人を尋ねて旅をしています。ですから構わないのです」
 オルレーヌの薦めもあって、ようやくそれを受け取った老人の顔には明らかに無念の色が見て取れた。
 その表情からだいたい次の言葉は想像できたが、あえて彼等はその言葉を待った。
「しかし残念じゃの。こんなに素晴らしい御遣いは他に見付からぬだろうに、しばしこの神殿に長居なさるおつもりはないですかのぉ」
 未練のある老人の前に、柔らかな微笑みを称えたバールベリトが進み出た。
「この度は大変お世話になりました。弟妹ともにこちらで多くの方の支えをかって出たい気持ちは山々なのですが、なにぶん私どもにはどうしても探さねばならない者がおりまして、一つ所にゆっくりしていることができないのです」
 物腰の柔らかいバールベリトの言葉に、老人はなお残念そうに頷いた。
「ならば仕方こざいませんのぉ」
 と、老人が仕方なさそうに力なく笑ったその時、開いたままの扉から一行をこの部屋まで案内してきた男が、急ぎ足で飛び込んできた。
「神官長様、申し上げます。只今本国よりの使者が参りまして、マルコシアス山の頂き付近に例の飛翔を目撃された竜が潜伏しているとの噂が報告されたとのことです」
 落ち着いた声音で淡々と語る内容には、あまり神殿とは関わりがないように思えた。
「そうか、二千有余年前の悲劇が再び起こらねばよいが……。このことがガーネットの耳に入らぬよう頼みますよ」
「承知しております」
 男は再び静かな微笑みを称え、彼らすべてに一礼すると、その部屋から出ていった。
「あの、竜が目撃された場所とはどこなのでしょうか? それに、その……二千年前に何が」
 いかにも旅の途中で出会わないとも限らないと、不安な表情で覗くバールベリトに、老人はすべてを語ることを決めたらしい。
 皺の刻み込まれた顔に、さらなる皺を刻ませ、老人は静かに語り始めた。二千年前に、竜によって連れ去られた銀の少年の話しを。
 現在竜が目撃されたと噂の山の場所も、彼はすべて包み隠さず教えた。黙って、時折相槌を加えながら聞いていた彼等は、初めて人間であった頃のライウェンという存在を知ったような気がした。
 話しには聞いていたが、どこか本気にしていなかったところがあったのだろう。
 それ以上に、彼等にはショックな内容でもあった。人間であったライウェンの恋人が、その精神を指輪に封じ込め、肉体の死んだ今も生き続けているなどという信じ難い話を聞かされるとは思ってもいなかった。
 それよりもあのライウェンがアタラクシア以外の誰かを愛していたなど、考えられないような気がした。
 それゆえに彼等の間に生まれた子供として、複雑な思いに戸惑っているのか、それとも人間であったことに動揺しているのか、アタールは小さく頭を振り、フォルネウスがその背に回した手に支えられながら、話に耳を傾けていた。
 それでも彼等はようやくジャスティスの居場所を知る手掛かりを得たことになる。
 ようやく、次の目的地が決まったばかりの彼等には、のんびりと感情に流されている余裕などなかった。
 目指すはマルコシアス山。
 シルーシュ王国の東に聳える雄大な姿目指し、彼等は神殿を、マル・ベートの町を後にした。


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