■第五章■
01 旗幟鮮明
 一歩その中へ踏み込んだなら、たちまち自分の居場所さえわからなくなるほどの混雑に、彼等は困惑しきっていた。
 市場は身動きできないほどに込み合って、押し合いへし合いの大騒動。慣れない人の海を掻き分けて、ようやくホッと息の着ける場所までやってきた彼等は、げっそりとやつれた顔で宿屋に戻ることを決めた。
 ここは当初の目的地、マル・ベートの露店が並ぶ自由市場。
 取り敢えず旅に必要な物は、この市場で手に入ると聞いて来たのだが、この人込みにはさすがに慣れていない。
 なんでも本国シルーシュの本神殿から、何だかと言う偉い方がこのマル・ベートを訪れる日が三日後に迫っていると言う話で、町には、わざわざその為に近隣の村や町から訪れた信者やら、見物人やらでごった返し、普段の三倍ほど人口が増加していると言う。しかもそれはたった十年に一度と言う話しだから、この騒ぎも仕方のないことなのかもしれない。
 どこもかしこもお祭り騒ぎで、町を上げての大賑わいと来ている。そんな中で彼等が相部屋などをあてがわれず、大部屋で一部屋とれたのは、もちろんバールベリトの身に着けていた貴金属が化けた金貨の力と言えた。
 それにしてもこの人だかりを幼い子供と、人目を引く双子を連れて歩いたのは失敗だったかもしれないと、バールベリトは肩を落とし、彼等を引き連れ宿屋の階段を上った。
 中でも一番見た目にも精神的にも幼い、再年少の少女ソフィアはすっかり疲れ果てたと見え、彼に抱かれて熟睡していた。
「おや、お客さん」
 丁度二階へ上り詰めた頃に、宿屋の主人が奥の部屋から出てきて愛想よく彼等を呼び止めた。
「今ね、そこのお客さんから聞いたんですけど、お宅のお坊っちゃんとお嬢ちゃん、この先に住む神官長さんとこのお孫さんにそっくりなんだって? いやぁ、そこのお客さん驚いていたねぇ、世の中良く似たお人がいるもんだって」
 馴々しい主人はそのギョロギョロした目でバールベリトの後ろに隠れるように立っている二人の兄妹を物珍しそうに眺めた。
「この二人が? 二人は私の実の弟妹だが、血を分けた私とは似ていないとお思いか?」
 悪戯に美しい微笑みを投げ掛けるバールベリトに困惑しながら、主人は慌てて首を振った。
「いえいえとんでもございませんよ、お客さん。まぁ、最初はわからないけど、その綺麗な顔は、間違いなく血を分けている証拠だよ」
 豪快に笑いながら去っていく主人の後ろ姿を見送りながら、アガレスは微かに頷いた。
 あの沈魚落雁才色兼備にして眉目秀麗な竜王さまと、八面玲瓏閉月羞華、窈窕淑女の竜姫さまの間に生まれて美しくないわけがないのだ。故に皆、竜王さまがアタラクシアさまを娶られた時、錦上添花で豪華絢欄と褒めそやし、見とれたものだと言う。しかしこの二人の美しさは未だ衰えることを知らず、人目を眩ませるほどに美々しく仙姿玉質とうたわれる。
 その美貌を受け継いだ三人の前に、アガレスはただただ感嘆の吐息を漏らすのみだった。
 そんなアガレスに、あの怪我以来何かと物腰の柔らかくなったバールベリトが、何かを言っているようだった。
 はっとしたアガレスは、慌てて神経を張り巡らせる。つい油断すると、どうしても彼の姿に見とれてしまう。
「なんだアガレス、お前も疲れたのか? 無理もないが、もうすこし頑張ってもらいたいんだがな」
 ぼぅっとしていたアガレスの様子にバールベリトは笑った。
 アガレスの全身が、弾けんばかりに熱く燃え上がる。心臓が別の生き物のように体中を駆け回り、今にも口から飛び出さんばかりの勢いだった。万事がこの調子で、この先アガレスの体が持つのか、フォルネウスは心配している。
 この様子を見るかぎりでは、以前の冷たい突き放すような態度で接していた頃の方が、まだましだったのではないだろうか、などと、一喜一憂する忙しいアガレスに同情さえ感じてしまう。
 時間も経てば慣れて落ち着くとは思うが、それまでの経過を考えると不憫としか言えない。
「どうだ? 私の共をして欲しいのだが、フォルネウス達と宿屋に残って留守番する方がいいか?」
 佳人の微笑み、とでも言うのだろうか、まさに断ることなどできない優雅な微笑の前に、アガレスは成す術もなく頷くのみ。
「そうか、では早速出掛けるとしよう。良い剣があってくれればよいのだが」
 バールベリトは竜王国を旅立つ時、不用意に人間を傷付けてはいけないと自らの剣をわざわざ持たずして降りた。
 彼は誰に似たのか好戦的な部分があり、一度自らの剣を鞘から抜いたならば、血を見て相手を死にいたらしめない限り引かない、というとんでもなく危ない一面を把握していた。
 それ故、彼の稽古は木刀か、鞘の固定された剣でのみ行われている。もちろん相手になってくれるような者がいれば、喜んで刃を交わす用意は何時でもある。
「あの、剣を購入なさるのでしょうか……」
 そんな一面を知っているだけに三歩下がって後をついて歩くアガレスが不安な声を上げた。
「また獣に襲われないとも限らないし、この世界もだいぶ物騒だという話だからな。用意するに越したことはないだろう。もちろんアガレスにも、フォルネウスやアタールにも用意するつもりだが、今日は我々の分だけをできたら決めてしまいたい」
 トロトロして見える双子も、実はとんでもない攻撃的な剣を使うことをアガレスは知っていた。恐らくこの四人の中で一番身を守るための防御系の剣を使うのはアガレスひとりだけだろう。
 心底深い溜め息を心の中だけで漏らし、彼はバールベリトの広い背中を見つめて歩いた。


 二人が出掛けて間もなく、慣れない人込みに当てられ、グッタリとベッドに雪崩ていた彼等の部屋のドアをいい加減乱暴に叩く音が響いた。
 ムクッと起き上がったフォルネウスはドアの前まで来て、暫くその騒音を聞いていた。
「お客さん、お客さーん、宿屋の者です、開けて下さいよ」
 ドアの外で声を張り上げたのはさっき廊下で彼等を呼び止めた、馴々しくて騒々しい男だった。
「なんですか?」
 不用意にドアを開けた途端、勢い良く再びドアを閉めようとしたが、頑強な靴がそれを邪魔した。
「おや、お連れさんとお兄さんはどうしました?」
 宿屋の主人の愛想笑いも、今はいやらしいだけの不気味に醜悪なものに変わっていた。
 その後ろで屈強な男達が四人、品定めをするかのようにフォルネウスを眺めている。
「言うことを素直に聞いて頂ければ、こちらとしても手荒な真似をしないですむんですよ。その綺麗な顔に傷や痣は造りたくありませんからねぇ」
 主人はバールベリトが部屋を去ったことを見ていた。その空きをついて残された子供達をさらってしまおうという腹らしい。もともとこの宿屋は裏稼業でもって大いに繁盛していると言っても過言ではなく、こうして何人もの旅人をさらっては売りさばいている。そんな彼等にはこの兄妹は絶好の獲物と言えた。
「さあ、おとなしく来ていただけますかな?」
 後ろで様子の異変に気付いたアタールが、ソフィアを庇うように立っていた。
 後ろを見たフォルネウスは、アタールと自分だけならこの場をなんとか切り抜けられると判断したが、ソフィアを守り切れるかとなると話は別だった。
「僕らをどこへ招待して下さると言うのでしょう?」
 一旦伏せた瞳を、再び男達に向けたその顔には、子供の幼さは残っていなかった。
 後ろに立つアタールも同様に、異様に冷めた、それでいて恐ろしく妖艶な薄笑いを浮かべているではないか。
 一瞬その雰囲気にたじろいだ彼等も、その後ろで恐怖に震えるソフィアの反応に安堵の吐息を漏らし、即座に子供達の回りを囲った。
「気味の悪いガキ供だ」
 そのうちのひとりが吐き捨てるように言った。それもその筈、彼等は人間で言えば、すでに成人年齢を越えた立派な大人と同じだけの力も思考も持ち合わせている。
 つまり今見せている表情こそ、彼等の持つ正当な態度を現していると言えるだろう。
 完全に気負いした彼等は、子供達に触れることもできず、部屋の外へ行くよう指示した。
 内心抵抗されないことに胸を撫で下ろしているような状態で、彼等は宿屋の裏口に止まっている馬車に彼等を乗せると、自分らも乗り込み、馬に鞭を入れる。
 馬車は裏通りを走り抜け、随分と町の外れまで走ったように思えた。
 ソファアを庇いながら、彼等は冷静に時折目配せしあう。
「それで? 僕たちを連れ去る目的は? 抵抗もせず黙っておとなしくしているんだ、そのくらい知る権利はあると思う。もちろん、話して頂けますよね?」
 妖しい微笑みを浮かべたまま、彼等は回りを囲む大人達を見定めた。
「なんだとぉこのガキャァ、そんなこたぁ知ったところでどうにもなりゃしねぇおとなしくしてな」
 うち一人が悪態つくと、それを仲間のひとりが手で制した。
「失礼しました。部下の無礼をお詫びいたします」
 中でも体の大きい立派な髭を持った男がフォルネウスに詫びを入れた。
 最初から馬車の中にいた男だ。
 柄の悪い連中の中からは想像もできない規律正しい軍人のような男は険しい表情で子供達を見つめていたが、やがて何かを決心したのか、背中を背もたれに深く預け緊張を解いて見せた。
「貴方がこの方達の長ですね?」
 確認の意味でフォルネウスが尋ねた。
「いかにも。まったくこの度はこの者達の手荒な振る舞い、誠深くお詫び申し上げる」
 心底部下の行動に呆れたような態度で、男はうなだれて見せた。
 男の説明によればこの男達はみなならず者同様、周囲に疎まれ荒れていたのを彼等の主人が目を掛け、ここまで面倒見て貰ったのだという。
「つまり、僕等は貴方方のお仕えする君主殿のご招待を受けさせられたと、そういう訳ですね?」
 嫌味を交えながら彼は微笑んで見せた。今までより幾らか子供らしい、素直な笑みを。
「ええ、しかしもっと丁重にお迎えするように仰せつかっておりましたものを。このような事態になってしまい、何と申してよいやら。どうぞ気を悪くなさらないで頂きたいのですが、あの宿は裏稼業の人間の出入りを許しておりまして、その数も定かではないのですが、幾らか仲買金を積めばああして客を引き渡してくれるんです。そこで皆さんの身柄をお預かりするのに、客を取った取らないの騒ぎを防ぐため、幾らか金を積んで裏金交錯をするつもりがあの主人、とんだ早とちりで、人身売買の一味と間違ったらしいのです。が、まぁことを大きくするのもこれ以上まずいかと思ったんでしょう、この者達も悪ふざけでそんな一味を装ったという次第です」
 男はまんざら嘘を言っていると言う雰囲気ではなかった。だからと言って全てを鵜呑みにするほどフォルネウスもお人よしではない。
 アタールは怯えたソフィアになんとか普段の落ち着きを取り戻させることに成功していた。
 馬車の向かう最終目的地を尋ねようとした矢先、その振動が一度大きくうねったかと思うと、静かになった。
 馬車が止まり、ものの数秒でドアが開く。辺りはすっかり夕暮れ時の朱色に変わっていた。
「ようこそいらっしゃいました。奥で主人がお待ちです」
 彼等を出迎えた清楚な成りをした数人の男達の中で、一際飾り立てた流美な服装をした男が深々と頭を下げた。
 促されるまま馬車を降りた彼等を、その男が誘導する。
 それはいかにも静寂と清楚を基調にした、由緒正しい厳粛な雰囲気漂う神殿であるかと思われた。
 だがもともと崇める神の存在を持たない竜族のフォルネウスとアタールの二人は、物々しい雰囲気に溢れた空間を楽しむように辺りを見回した。
 円柱の柱の並ぶ大広間を抜け、白い壁が延々と続く廊下を幾つも曲がり、細かい細工の施された手すりを持つ階段を上る。これだけでもこの神殿の持つ広さがどれだけのものであるかが伺えた。
「こちらです」
 ドーム状の天井に、男の低いが良く通る声が響く。
 彼等の前には一枚の扉が聳えていた。表に彼ら、竜の飛翔が浮き彫りにされているのを不思議な気持ちで見つめていたが、やがて竜の姿を割るように、その扉が静かに中へ開いた。
「良くおいでになられました」
 そこで彼等を出迎えたのは、長い黒髪を床に這わせた麗人。
 優しく、しかしどこか棘のある美しい女性がただひとり、大きな椅子に腰掛けていた。
 手で部屋にいたものをすべて払うと、彼女は静かに椅子から立ち上がる。
 高貴な薫りが匂い立つような女性の美しさに、幼いソフィアでさえ目を奪われる。
「始めまして。私はこの神殿を守る神官にして神の声を伝える役にある者。オルレーヌと申します」
 優雅に微笑む姿は、気品と色気に包まれ、しかしどこかに女性であることを忘れさせる、ユニセックスな雰囲気も合わせ持つ、不思議な魅力を持っている。
「お連れの方も間もなくこちらへいらっしゃるでしょう。何も心配はありません。どうぞ気を楽になさって下さい」
 オルレーヌはヒラヒラと舞う袖を揺らしながら彼等の側へ歩み寄る。
「なぜ僕等をここへ? 貴女は何を企んでいらっしゃるのでしょう」
 フォルネウスにとって、相手がどれだけ妖艶であろうと美麗であろうと、その外見に惑わされる心配はなかった。何と言っても彼の心を掴んで放さないアタールが隣にいるのだ。  そのことを知っているのか、これだけの秀麗な美を持つ女性の前で臆することも、恥じらうこともせず、まして張り合うなどという馬鹿げた行為にも走らず、アタールの堂々としたまなざしが彼女を捕らえる。
「その前に、お名前を聞かせて下さらないかしら」
 三人をゆっくり見比べながらオルレーヌは微笑む。けして心の内を見せない対処の仕方に、フォルネウスは内心感心していた。
「僕はフォルネウス。ロード・フォルネウス・シャルルドゴール。妹はロゼット・アタール・シャルルドゴール。そして兄のロード・バールベリト・シャルルドゴール。セクレ・ドゥ・ムーンの称号を持つ者。そしてこの少女はソフィア・ピスティス。故あって行動を共にしている。もうひとり、兄といる者は、アガレス・ルーベライト・シャルルドゴール。 他に何か知りたいことは?」
 滅多に名乗らぬ称号と、彼等の名前を並べ立てたのは、この女性が転生体であることを見てとったためであった。
 セクレ・ドゥ・ムーンと言えば竜族なら知らぬ者はない、王家の直系を意味する言葉であり、シャルルドゴール家も王家直属の血筋の者が名乗ることは誰もが知っている基礎知識だ。
 その言葉に反応するなら記憶を持った者だと即座に判断できるはずだったが、この女性は満足気に頷いただけで、これとっ言った反応を見せなかった。
 そこへバールベリトとアガレスが彼等を案内した男に連れられ入ってきた。
「お兄さま、アガレス、よくご無事で」
 再開を果たした彼等は短めに挨拶を交わし、目の前に佇む女性を凝視する。
「これで全員揃いましたね。私はオルレーヌ。以前は貴方方と同じシャルルドゴールを名乗る竜族でした。アラストール・シャルルドゴールと呼ばれる者ですが、この名を知っておりますか? セティーソワル、ジャスティスはアラストールの息子。つまり私は以前、この二人の父として生活していた者」
 彼等はその名を聞いた途端、信じられないものでも見るように、美しい女性を見つめた。
「驚くのも無理はありません」
 オルレーヌは喜々とした表情で彼等を見つめていた。この状況を楽しんでいるとしか思えない弾んだ声で。
「僕の……」
「アガレスの……」
「おじいちゃま!?」
 双子とアガレスが声を揃えて叫ぶ声が、ドームの天井一杯に谺する。
 谺の中でオルレーヌの視線はアガレスに注がれた。
「まぁ、貴方が私の孫なのね? と言うことはジャスティスの子供ということになるわね。 ……それとも、セティーソワルの子供かしら?」
 とって付けたような歯切れの悪い口調は、何かの事情を考慮しての言動と思われた。
 ジャスティスの息子であることを断定した彼女の理由が、バールベリトには気になった。
「父はジャスティス、母はアクラシエルです」
 アガレスが答えると、彼女は顔を輝かせ彼を手招きする。
「ジャスティがアクラシエルと? てっきりセティーばかりを追っていると思っていたのに。ちゃんと婚約者と結婚したのねぇ。それで? あの子達はどうしているの? 元気かしら。セティーは相変わらず?」
 白く柔らかい手がアガレスを優しく包み込む。
 甘い薫りが鼻をくすぐった。
 彼女の楽しげな様子に、バールベリトは躊躇しながらも本当のことを告げる覚悟を決めた。
 暫く緊張し張り詰めた空気が辺りを覆い、アガレスはひとり唇を噛み締め俯いたまま、じっと動かない。そのアガレスに彼女の手がそっと触れた。
「貴方が気に病むことなどないのよ。あの子は昔からセティーばかりを見つめていたから。 ……ではやはり、あの時見たのは我が子の姿だったのねぇ」
 しみじみ彼女は呟いた。
「あの時って?」
 アガレスに再び視線を戻すと、オルレーヌは暫く沈黙した。
「……確か半年程も前よ。北へ向かって飛んでいく竜が見えたから、ジャスティに良く似ていると思ったのよね」
 その答えはあまりにもあっけらかんとして、ことの重大さを欠落させている。
「半年……」
 バールベリトは溜め息混じりに呟いた。
 思えば随分余計な時間を要してしまった。アガレスの怪我が完全に治癒するのにも予想外の時間が掛かったことを改めて知ると、その怪我の重度が再び思い返された。
 しかしこれと言って膨大な時間の流れが気にならないのも、気の遠くなる年月を生きる彼等ならではだろう。
「でも不幸中の幸とはこのことよね。水鏡で町の様子を視察していたら偶然貴方達を見つけたの。でもこの偶然は私にはチャンスなのよ。だからこうして貴方方を招いたの」
 ジャスティスのとった行動などはまったく眼中にないらしく、彼女は何か妖しい微笑みで彼等を見回した。


 ドームに広がる白く淡い光の中で、オルレーヌは彼等を招いた理由を語りだした。
「私には愛する人がいるの。あの人も私を愛してくれた。私が愛するのはただひとり。過去も未来も、永遠の流れも停滞した中にあっても、混沌が支配する場所にあってでも、ただひとりきり」
 その口調は神妙で、厳かな犯し難い神々しい雰囲気が漂う姿は、まさに多くの民を説き伏せる、神官職に相応しい威厳に満ち、後光がさしていても、何等不自然さのひとつも感じさせないであろう空気を作っている。
「今も、人の身に生まれた今でも私はあの人を愛し続けて止まないと言うのに、一向に迎えに来てはくれない。信じているのに、待って待ち続けているというのに。……私の妻、アンジェリークは竜族でありながら、私と私の心を束縛しようとした。けれど私は私の思いを貫いた。彼女を愛していない訳ではなかったけれど、到底比べるに値しない愛だった。それでも私は私なりの愛情を示すために、最後に彼女に殺されて上げたわ。無理心中を余儀無くされて、アラストールという人格を失ってしまったけれど、あの人が必ず私を蘇らせてくれると信じていたから何の恐れも不安もなかった。それなのに、幾ら待ってもあの人は来ない。だから、私の愛を裏切ったあの人に復讐するのよ。私のこの愛の深さを、熱い愛を思い知らせてやりたいの」
 そこで一旦言葉を区切り、言葉とは裏腹な、おとなしく物悲しい瞳で一行を見渡した。
 誰も途中で口を挟む者はなかった。挟める雰囲気でもない。
 アタールはその静かに燃え立つ気迫に、無意識にフォルネウスの手を握っている。ソフィアもただひたすらに、バールベリトの影からそっと覗く程度に顔を出しているに過ぎない。アガレスが、一番オルレーヌの側にいた。
 その甘い香りに包まれながら、彼女の毅然とした態度の中に隠された燃えるような悲しさを感じとっていた。
「私のこの思いを見せて上げたいのに、私はただの人間。今の美しい姿は、所詮時の流れによって崩される砂の仮面。私はもう一度、竜族に生まれ変わり、あの人に逢いたい。できるならそうしたいと、ずっと願っていた。そして私はチャンスを得たわ。貴方達の血が必要なの。少量ずつで構わない。貴方達は全員、私の身内なのですものね。もちろん、協力して下さるでしょう? アラストールの願いを。オルレーヌの思いを遂げるそのために、どうしても必要なことなのですもの」
 そう語り終えた彼女は、これ以上ないという微笑みで強制していた。断れる訳などない。断るとは言わせないだけの微笑み。
「おじいさまが愛した方がどなたなのか分かりません。もちろんその方の名を問うなどと無粋な真似はしませんが、復讐のために逆転生なさって、もしその方がすでに竜族ではなくなっていたり、止むに止まれぬ理由があったり、それに、その方が心変わりなさっていたら、どうなさるのですか? 復讐のためとは言っても、復讐も叶わぬ場合もあります。 ……愛する人が、自分以外を愛している姿など、見ていても辛いだけではありませんか?」
 アガレスの言葉には真に迫る苦しみが込められる。それは己の心。そして彼の父ジャスティスの思い。
 自分ではどうすることもできない苦しみの日々。彼はひとり、思い出していた。
 しかしもうひとり、その苦しみを体験している男がいる。彼もまた、その辛さを絶えて、望みのない思いを抱いて生きている。
「もし、私を裏切るような行為を行うなら、迷わず復讐するでしょう。私の愛はそれほど甘くはないのよ。すでにいないなら再び出会うまで待つでしょう。何万だろうと何億だろうと。時の長さなど私には必要ない。私以外を愛することなど、あってはならない。けれどそれは私にも止められはしない。だからと言って、私の思いが押さえられるものでもない。そうしたらあとは万に一つの可能性でもないよりはまし。諦めたりはしない。見返りを求めない愛も、私にはある。でも、今は、──憎い。私の転生を気付いていながら迎えにもこないなどと、その理由を知るまで、私はアラストールであり続けなければならない。 永遠にオルレーヌにはなれないのよ」
 彼女は真っ直ぐ前を向いて、毅然とした態度を保っていた。
「親子だね。誰かを愛する気持ちがとても強いんだ」
 フォルネウスがボソッと呟き掛けた。アタールもその意見に同意の相槌をうつ。
 しかし、その囁き声はしっかりオルレーヌにも届いていた。
「そう、ジャスティスは私によく似ている。一途で、一生をかけてただ一人に全身全霊の思いを寄せる。しかし、それはジャスティだけではないわ。セティーもそう言った情熱を秘めた子だった。ただ、ジャスティより要領がよくて、賢く生きる子だったことは確かだわ」
 オルレーヌの言葉に一番熱心に耳を傾けていたのはバールベリトだった。
 この人は知っている。バールベリトは真実を知っている人物を食い入るように見つめた。
「セティー殿が愛した方とは、誰だったのですか? それをお聞かせ願えませんか」 
 答えなど期待していなかった。答えてくれることのないことを彼は知っていた。けれど、聞かずにはいられなかった。
 アクラシエルのもとを旅立ってからというもの、一度として頭から離れたことはない。 案の定、彼の質問にはなんの解答も得られぬまま、数分間の沈黙が彼等を覆った。
 アガレスが辛そうに唇を噛み締める。自分は気付かぬうちに父と同じ道を辿っているのだろうか……。ふとそんな疑問に襲われ、慌ててその考えを否定し打ち消すように目をきつく閉じた。
 突然、その沈黙に突如割り込んだのは、騒がしい足音と、甲高い子供達の罵り合う声だった。
 廊下を渡ってくるだけのことが、これほどうるさいとは、どれ程不作法な子供かと、誰もが扉に集中した。
 中でもオルレーヌだけは、力なく最初に彼女が座していた椅子にフラフラと座り込む。
「オルレーヌ、聞いてよっ!! オブシティアンたら酷いんだ」
「違うだろ、悪いのはオニキスの方だろぉ?」
 ノックも案内もなしに唐突に扉を開けた子供達は、無遠慮にドカドカと部屋の中央まで入り込んだ直後、初めて中にいた一行に気が着いたようだった。
 さすがに気まずいのか、黙ってお互いを肘でつつき合っている。
「なんですか、みっともない。今は大事なお客さまがいらしているの、お話は後で伺うわ。下がりなさい」
 子供達を見ようともせず、厄介ばらいするように、彼女は強く言った。
「……はーい」
 声を揃えて後ろを向いたのはいいが、再びお互いに罪のなすり合いを始め、そのまま口論しながら退出していった彼等の声は、当分の間止まなかった。
 子供達を見送った双子は、お互いに視線を絡ませ、驚きの表情を見せている。
 もちろん、その子達を見た一行はみな、驚いていたが。
 色はオルレーヌに似た黒い髪と瞳だったが、その顔の雰囲気が、双子にそっくりに見えたのだ。
「ごめんなさい。見苦しいところを見せたわ。今の子供達はこの神殿の神官長さまのお孫さん。オニキスとオブシディアンという双子の兄弟なの。あの子達、自分の美しさを過信し過ぎたあまり、お互いどちらが本当に美しいのか競い合い、いがみ合っているの。幼い頃から綺麗な子、綺麗な子と言われて育ったために、ああなってしまったのね。少なくともあの二人がこの神殿を守り立てていく後継者なのに違いはないのだけど、これでも神官の立場からいえばどうも不安なのよね。確かにあれほど綺麗な子供は存在しなかったもの」
 溜め息混じり愚痴を零していたオルレーヌの視線が、ピタリと双子の上に止った。
「フォルネウスとアタールがいるじゃない。あなた達、三日後に訪れる司祭さまの祈りの儀式に私と参列してくれないかしら。良い機会だからあの子達を懲らしめてやるわ」
 何かよからぬことを企んでいるとしか思えない美麗な笑みを浮かべた彼女に、双子は断る理由もないので、とりあえず頷いた。
「三日後の式典で私は引退する。その後は何をしようと自由。その前に最後のお勤めとして、あの子達の根性の腐った部分をさらけ出してやらなきゃね。全てが終わったら、私は生まれ変われる。あの人の下へ……」
 一抹の不安を抱えたまま、彼等は何時の間にか、彼女への血の提供を余儀無くされていることを知る。
 そしてそれは、少なくとも三日後の、儀式も何もかもが終わってから。おそらく彼等はその後で、彼女の旅立つ姿を、竜王国へ帰る竜の姿を見送るのだろう。

 
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