僕等を繋ぐ物
〜あなたへ募る愛しさ抱きしめ〜
1 プロローグ 再会と誓い


 崩壊し廃墟と化したかつての王国ライダ。小さな山間の国は一瞬の内に閃光の中に飲み込まれ、灼熱の地と変わり果て、すべての命を失った。
 
 時は流れ、人の記憶も薄らぎ、あの滅びの日を語る者もない今、ひとりの少年がこの地を尋ねていた。ライダという国が栄えていた遥か昔、あの頃から数百年の歳月が流れ、人も国も変わってしまったというのに、この寂しい大地はあの日のまま……。草の芽ひとつ生えることなく当時をそのままに残していた。緑豊かな恵み深い大地はもう二度と戻らない。永遠の死の大地と変わってしまった。
 少年は城の跡地であろう巨大な建造物の廃屋へやってきた。
 当時、そこには光を含み、輝く水が勢いよく流れていたであろう噴水が、そのままの形で何時清らかなしぶきを上げてもおかしくない状況を残している。
 色とりどりの花に囲まれた、さぞかし美しい庭園であったに違いないこの場所に、彼はただひとりで立っていた。暫くはその噴水をみつめていた。その少年の足がゆっくりと城であっただろう建物の中へ踏み込んでいく。
 そこで彼は、まるでその城の内部を知っているかのごとくの勢いで、ある一つの部屋を目指し、躊躇いもなくひとつの扉に手を掛けた。
 不思議なことにその部屋だけが崩壊する前の状況で時を止めているようだった。
 一歩中へ踏み入れた彼の目に止まったものは、黒い瞳と黒い髪の美しい女性と、黒いマントを羽織った青年の描かれた肖像画だった。
 白い壁にふたりを描いた巨大な額が青年を迎え入れる。絵の下のプレートには、ふたりの名らしき文字が微かに読見とることができた。
 そこには『ルヴェリーゼ・ラリアディス』とあった。
 当時のこの城にいた姫君の名と、その婚約者の名が記されている。
 更にその下に彼は文字を見付ける。薄くなり消え入りそうな古ぼけた文字は『何時の日にも貴女を探す。あの日伝えられなかった言葉を伝える為に。滅びた大地に私は誓う』と記されていた。
 彼は文字を指でなぞりながら、口の中でその言葉を形にしてみた。
 何かが彼の記憶を掠めたような気がしたが、すぐに思い直し壁を離れ、彼は隣の寝室へ向かった。
 整頓された少女の部屋には、まるでそこに誰かが住んで今なおそれらを使って生活しているかのごとく生々しい生活の匂いが漂っていた。
 今し方までそこに少女が座っていたのではないかと思われるような、柔らかいソファーや、何時も磨かれて曇りを知らない鏡台の上に置かれた小さなアクセサリー等は、今にも戻ってきて微笑む主人を待っているように佇んでいる。
 ベッドはきちんと皺を延ばし、淡いグリーンのカバーが掛けられ何時でも安らかな眠りを与える準備をしている。
 ベッドの脇に置かれた小さな台の上には、夜、明りをとるための蝋燭が、芯を黒く焦がし、やや臘を溶かした程度の長さでガラスの器に立っていた。そのすぐ脇に、小さな絵が立て掛けられている。
 彼はそれを手にとって、さっきの肖像画を思い出す。黒髪、黒い目の男。ラリアディスの描かれた小さな肖像画だった。
 少年は肖像画の入った小さな額縁を、元のイーゼルに戻し、視線を部屋の隅に動かした。そこで、この部屋には到底似つかわしくないと思われる二体の鎧を見付けた。
 部屋の隅に置かれた衣装ケースの上に、きちんと並べられたそれは、黒の鎧と兜。そして銀の鎧と兜の二組だった。片方の黒い鎧は、多分ラリアディスの物だろうことはなんとなく分かった。が、銀の鎧が誰の物なのか、彼はそれを手にしてみとずっしりと、確かな手応えを感じた。
「──何をしている?」
 不意の声に彼は息を飲んだ。
 とうに滅んだ国の廃墟の中に、気配もなく現れた声に恐る恐る振り返る。
 振り返りながら、彼はなんとなくこの部屋が昔のまま時間が止まっていると思ったことが滑稽に思えた。誰が住んでいてもおかしくないではないか。そう思った途端にこれはまずいな、と思い直した。自分は他人の住む場所に勝手に無断で入ってしまったことになるのだ。
「すいません、てっきり誰もいらっしゃらないと思ったものですから……」
 とりあえず彼は振り向きざまに誤ってしまおうと頭を下げた。
「──…」
 声の主は何もいわずに少年を見ている。
 彼は、おずおずと頭を上げ、何も言わず自分を見詰める男を見た。正面に、黒髪を背まで伸ばした美しい青年がいた。
 瞳は闇のように黒く、全てを見透かすような静かな鋭い光を放っている。
「あーあの……。本当に勝手に入ってしまってすいませんでした」
 少年はもう一度頭を下げた。
「──その鎧は、当時銀の幻影と呼ばれた男が身に付けていた物だ。そしてその隣にある黒い鎧は、暗黒の魔人と呼ばれたラリアディスが着ていた物。この部屋は、ラリアディスの婚約者だったルヴェリーゼ姫の物。お前はここに、何しに来たのか?」
 長い衣に身を包んだ男は、冷ややかな瞳のまま少年を見すえ、言葉を紡ぐ。
「それが、その……。僕にも、良く分からないんです。あ、僕はミドウラナの生まれなんですが、数年前にセムカパーズのライダという王国のお姫様にまつわる伝説を聞いて、その国が今も形を止めているって知ったら、なんだがじっとしていられなくて……。気が付いたらここに……いました。」
 少年は素直に答えたつもりだったが、彼自身いい加減な言い訳をしているとしか思えない内容で、余計に気まずくなった。
「名は……?」
 男は一端頷くと、幾分優しい瞳を向けるようになっていた。
「え? あ、はい。セウリラーザと言います」
 少年の柔らかな栗色の髪が揺れた。
「セウリラーザ、か。私の名はギウォーグ・ファクナ。セウリラーザよ、ミドウラナではどのように語られているのか聴かせてはくれぬか?」
 男は第一印象より随分優しくなったような気がした。
「ああ、はい。いいですよ。僕が聴いた話は、今から数百年の昔、ライダという小さな国に美しい姫がいた。姫はセムカパーズだけでなくミドウラナにも名を轟かせる程の歌の名手であり、不思議な力を持っていたために人々から歌姫とか、神乙女とか呼ばれる程だった。セムカパーズのほぼ全土を治めていたメイジスラジアの皇子と婚約して間もなく、ライダは光と炎によって滅び、国と民と王はその場で死んだ。しかし姫だけが東の片牙と呼ばれる塔に幽閉され、魔皇子の元で暮らすことになったが、婚約者である皇子の率いる軍が姫を助けに行く。しかし皇子と魔皇子の戦いに巻き込まれ、姫は命を失った。その後歌姫の歌う音楽が風に乗って運ばれた、と。大まかに言えばこんな感じです」
 セウリラーザは話終えた時、腕を組んでじっと聴いていたギウォーグの表情が笑っているとも泣いているとも付かない、複雑な面持ちであることに気付いた。
「ではその後、皇子はどうしたか聴いたか?」
「いいえ」
 少年はゆっくり首を振った。
「付いて来るがいい」
 男は微かに笑ったかに見えた。寂しそうな笑いを浮かべたと思う。
 男はセウリラーザに背を向けるとさっさと歩き出した。その後ろを小走りに少年が付いていく。
 行き着いた場所は城の中庭だった。
 ここにも大きな噴水が置かれていたが、男はそのまま噴水を横切り倒れた石像の後ろへ回った。そこには、地下へ通じる階段がぽっかりと口を開けていた。
 男は無言のままその階段を降りる。少年もまた階段を男に習い降りていった。
 やがて階段は行き止まり、扉が行く手を阻んでいた。
 男は、扉をゆっくりと開いた。
 中にあったものは、ライダの歴代の王やその親族達の収められた石の棺だった。
 奥に行くほどその棺は古くなっているようだ。男は扉近くの壁に掛けられた蝋燭に火をともし、その一番手前の棺を指差した。
「あれがルヴェリーゼ姫の棺だ」
「えっ? だって、ルヴェリーゼってお姫様は東の地で亡くなったって……」
 男の影から少年がその棺を見ている。
「確かにそうだった。姫は全てを知っていたために自らの命を絶った。ラリアディスが止める間もなく……。しかし、ラリアディスは姫の亡骸をこのライダまで運んだ。そしてライダの王とライダの民を手厚く葬り、姫をこの地に眠らせたのだ。姫の隣にある棺には、黒い剣が置かれているだろう? あれがラリアディスの眠る棺だ。その隣に同じように銀の剣が置かれた棺がある。ラリアディスとともに姫の最後を見届けた男、彼の影となり付き従った幻影デューリシオスの眠る棺」
 ギウォーグは静かに銀の剣を握りしめた。長い時を経過したというのに、剣は見るからに美しい光を放ち、刃零れの一つもなく、まるで姫の部屋のように時を止めているようだった。
「デューリシオス……?」
 少年の動きが止まる。初めて聴く名なのに、酷く懐かしい思いで一杯になった。
「剣を……」
 ギウォーグはセウリラーザの手に黒い光を放つ剣を握らせた。
「……っ!」
 その途端、セウリラーザの中で血が逆流し電気が走り抜ける。鳥肌が全身を取り巻き、震えが走る。
「ここにいれば必ず会えると信じ、待っていた。ラリアディス……」
 男は懐かしい微笑みで少年を見詰めた。
「デューリシオス……? 何故お前までもがここで果てた?」
 少年の茶色の瞳から涙が流れていた。
「確かに姫を弔ったあと、お前の命に従い一時の間、国や家がどうなったか見定めに行ったが、弟や妹たちの立派な姿を見た私はエシャを飛ばしこのライダへと戻った。その時どれ程私が後悔したか分かるか? 戻って見ればお前は……。その時私は決心した。お前を弔った後、ふたりとライダの民とを弔う為に一生を費やそうと……。そして私はこの出来事を語り歩いた。その旅の途中で私は子供を設け、その子供に私の遺体をこの地に運ぶようにと言い残した。そして私はデューリシオス・ファクナの血を受けた子孫としてまたこの地に生まれることができた。血のせいだろうか、私は物心付いた時からデューリシオスの全てを記憶していた。そのために私はここでお前の来るのを待つことが可能だった」
 まるで、これまでの思いを捲くし立てるような勢いで、しかし一言一言をゆっくりと、彼はこれまでの経緯を語り、そこでしばらくの沈黙を作った。
「デューリシオス?」
 その静けさに、さすがにラリアディスも不安な声を上げる。
「おまえを、待っていた。私も、ルヴェリーゼ姫も……。いや、彼女は今もおまえを待っている。お前より先に私に気付いた姫が、もしあの言葉を覚えているなら、今もそれを伝えてくれるならば、どうかその言葉を聴かせて欲しい、そう伝えて欲しいと頼まれた。どうする……ラリアディス……いいやセウリラーザよ」
 沈黙があった。驚きと緊張の入り混じった空気に、少年の少年らしくない瞳が暗く輝いた。
「ルヴェリーゼもまた、生まれ変わっているのか? それなら彼女は今、どこにいる?」
 セウリラーザにはラリアディスとしての外見的な面影はまったくなかった。まだ幼さの残る十六、七の少年の顔が真剣にギウォーグを見つめ返す。
 ギウォーグは、デューリシオスと良く似た容貌を持っていた。過去の彼が白子であったのに対し、現在は黒という色を持っているということ以外は。
「彼女に会うのならばもう一度、アシフェルと会うことになる。それでも誓いを守るのか……?」
 セウリラーザの瞳が曇る。
「アシフェルのもとにいるというのか? 彼女は、神として生まれたのか……?」
 微かに残る記憶。ラリアディスの言葉。
「いいや。彼女もまた人として生まれた」
 ギウォーグの瞳が、曇るように光る。
「ではなぜ……?」
 首を振るギウォーグを覗きセウリラーザは眉を寄せる。
 ふたりの会話は、過去のふたりの会話。
 暗黒の魔人ラリアディスと銀の幻影デューリシオスが現代に蘇り、過去を悔やみながらギウォーグとセウリラーザを見つめている。
「そこまでは私にも分からない。だが、お前がもし行くのならば、私は影となろう」
 その言葉にラリアディスは一瞬ためらい、そして微笑む。
 セウリラーザにはギウォーグが必要だろう。過去の自分同様に……。


 ふたりは互いの剣を握り、地上へ戻った。
 再び彼等はルヴェリーゼの部屋へ戻り、誓いの言葉と寄り添えなかったふたりの肖像画を見つめ決心する。
 たとえこの命失ったとしても、あの時の、過去の悔しさをもう二度と味わうことだけはしない……と。


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