それは味気無い目覚め。
何気なく訪れたいつもの朝。そしてまた、同じ一日の始まりを告げる静かな警告。 夜毎に願い、夜毎に祈る。
朝日は願いの適わぬ証し。祈りの無意味たるを教えてくれる無慈悲な光。
僕の一日は余りに無気力に、そして淡々と続く。
まるで無益な僕。昼の時間に囚われた哀れな男。
滑稽になるほど、僕は日毎に狂おしく夜を切望する。
目覚めたこの瞬間にも夜を望み、目覚めてしまった僕自身に腹が立ち呪詛の一つも毒づきたくなる。
そもそも何故僕はこう何時も正確に毎朝同じ時間に目を覚まさなければならないのか。夢の中でどうして一生過ごせないのだろうか。
二度と目が覚めませんように、永遠に朝が訪れませんように。何時から僕は夜毎願うことを始めたのだろう。
平和な日々は、知らぬ間に僕を置いて過ぎ去った。あの夜、あの夢を見始めた頃から、僕の中で何かが変る。
緩やかな時の終末みたいな夢だった。世界は荒涼と荒れ果て、白濁した空が低く続いていた。巨大なビルが並ぶ真ん中の、きっちり太い真っ白な中央線が酷く目立つ。 大きな道路は何処までも長く続いているみたいで、その先に何があるのかなんて、考えもしない。昔読んだ漫画の舞台みたいな、リアルな景色。
僕の家はそのビルの中にあって、夜の訪れと共に帰り着く。
そこには見慣れた見知らぬ家具が並び、小さい頃お祖父さんの家で見た時計があった。
ただいま、と僕が廊下の奥に声を掛けると、見知らぬ子供が嬉しそうにお帰り、と迎えに出て来る。
僕はこの子供を良く知っていてこの子供が実は大人なのに子供のふりをしていなくてはならないことも理解していた。
だから僕たちは直ぐにその部屋へ行き、僕が留守の間彼が見守っていてくれた卵を、今度は僕が見守る。
僕は昼間は外に出掛けなくてはならないから、夜だけこの卵と一緒にいることになる。一度、僕がこの卵と一日一緒にいたいと言うと、彼は困った顔をしてそれは僕にとって、とてもいけない事だと教えてくれた。
この卵が何の卵かは知っていたけれど、何時孵化するのか知らなかったから、それも彼に聞いてみた。すると子供はすっかり大人になって、綺麗な、それは美しい女性になっていた。だから、僕はその答えを聞くまでもなく理解した。
ある夜いつものように帰宅してみると、彼女が卵の側で冷たくなって眠ってしまっていたから、僕は今夜が孵化する特別な夜だと知る事ができた。いつもは白く濁った闇が広がる空に、黄色い月が幾つも輝いて、嘘みたいに賑やかな夜だった。
卵がピクピクっと微かに蠢き、僕は期待に胸をドキドキ踊らせる。ついにこの日が来たんだ。僕が僕自身になる前に別れた君が生まれる。
─── ピ シ ッ !
卵に亀裂が走り、僕は緊張に体を強張らせ目を背けたくなる。その瞬間、雷鳴が轟き鋭い閃光と轟音が僕を襲った。
視界は奪われ耳は音を失い鳥肌が立つ程の静寂の中、僕は君を見つけた。
君はまだ無垢で、柔らかな笑みと愛らしい美しさだけを持っていた。
淡い栗色の髪がふんわりと輪郭を覆い、緩やかな曲線を描いて肩から胸に零れる。 まっすぐに揃った前髪と大きな黒目がちの瞳。潤んで艶やかに僕だけを見つめていた。小さなふっくらとした唇に朝露のような輝きを持って、君は天使の笑顔で僕を優しく包む。
なんて愛らしい少女。
僕だけがこの少女を見つめることを許可された。
僕の心に衝撃が響く。
僕は君を守る。
僕が君を抱き締める。
僕だけが君の微笑みを見つめ続ける。
「ミネアキってば最近なんかやってる? 俺たちに内緒で彼女でもつくってんちゃうかぁ? 毎晩遅くまでデートとかして」
「そーそー。なんかなぁ、ここんとこずっと眠そうだもんなぁ、峰明ってさーぁ?」
「羨ましいねぇ、紹介しろやー? 何処の学校の子だ? うちの学校ってこたぁないもんなぁ」
目の前に、見慣れた友人たちが机に座ったり椅子を跨いだりして僕を囲っていた。 どうやら午前中の授業は終わっているらしい。クラスの中にはまだパンを齧っているような奴もいる。昼休み、僕は機械みたいに動いて、味も感じないまま昼食をすましてしまったようだ。
最近僕の記憶は酷く混乱している。
彼女のことばかりが優先してしまって、現実の記憶が薄らいでいる気がする。現に今も午前中の記憶がない。
「だけどさぁ、気を付けたがいいぞ。そのうち呼び出されるかもしんねーかんな」
「僕、そんなに変?」
なんだかんだ言って、彼等はいい友人だ。本気で忠告してくれているのが痛い程分る。
「んー、なんかちょっとな。ぼーっとしてるっぽい」
「けど、上手くかわしてるよな」
「ああ。ソツなく回答とかしちゃって。実は夜中まで抜け駆けで勉強?」
僕はまずいなぁ、と思った。思っただけだけれど。
このままで良いわけなんかないと思いながら、彼等になんでもないと手を振り、笑顔でなるべく普段通りに電車の滑り込んでくるホームで別れを告げる。口々にまた明日な、と言い合いながら。
けれど僕にとっては明日なんて欲しくない。僕が欲しいのは、永遠の夜。君と過ごせる唯一の時間だけ。
「本当に私を選ぶ? 全てを犠牲にしても、私といることを望むの?」
君が初めて僕に質問をした日。僕はひどく真剣に、真面目にもちろんだと答えた。僕は悪魔にだって誓ってもいいと思った。
「世界が崩壊して、二度と戻らなくても?」
「君と一緒ならね」
僕は本当に世界が真っ白になって、家族や友達が消えてしまっても、君さえいてくれたら悲しいのも我慢できると思う。
「この部屋を見て。あなたがいない昼間は私ずっと眠っているの。ママはとっくに帰ってしまったわ。もう必要ないからって」
部屋は白く、真ん中に純白のレースに縁取られたベッドが一つ。後は何もない。そう言えば、僕の留守に見守ってくれていた彼女はいない。
「ねぇ、私、すっかり元気になったの。見て、あなたのおかげで、こんなに素敵な羽根もそろったわ。もう、ママと同じところへ帰れるのよ。ママが帰って来なさいって、呼んでるんだもの」
立ち上がった少女は後ろを振り返り、純白の羽根をゆっくりと揺らして見せた。黒い瞳が本当に濡れている。その時、空で朝を告げる蹄の音が聞こえた。
「いけないっ。もうこんな時間? さあ、あなたもう行って」
僕はいつもと同じように、玄関を追い出され目が覚める。
僕は目を覚ました瞬間に、悲しくて苦しくて胸が痛んだ。あんまり苦しいので、その日は学校も休んで一日カーテンをしたまま部屋で天井を眺めて過ごした。
その日の夜、僕は世界が崩壊してしまったのを知った。
二度と僕は帰れない。二度と君に逢えない。知っていたのに。君は天使。僕が知っている唯一の本物の天使だったから、僕だけの……。
その夜の夢は酷く憂鬱で、しかも悲しく辛い夢。
早く目覚めたいと願ったのに、その日の朝は寝坊した。
遅刻でも何でもいい、僕はとにかく部屋にいたくなくて学校へ行こうと思った。何処か他の場所でもいい。とにかく何かじっとしていたくないから、家を出たかった。 僕が結局行く場所は学校しかないんだ、と靴を履いている時、珍しく父親が、まだ部屋着のまま居間から顔を出した。
「峰明、今日は早く帰れ」
珍しいことは重なる。そう思いながら「ああ」とだけ返事をする。今の僕には全てが無駄に見える。色あせて歪んだ世界。
教室のドアを開けようとした時、友人が僕に気が付き反対にドアを開くと廊下の方へ人を押し出した。
「ミネアキッ! 何だよこの野郎! 俺たちにまで内緒かよー、あー?」
訳が分らずされるがままになっていると、彼等の向こうに君が僕を見ていた。
僕らと同じそろいの制服を着た君が。
「何だよっ! 彼女じゃなくて親公認の婚約者だとぉ?」
僕は彼等が言っている意味がわからず、急に意識を失った。
「私、ママの処を飛び出して来ちゃったの。世界は崩壊して全てを失ってしまったけれど、私それでも構わないって思ったの。あなたと一緒なら、悲しいことも耐えられるって」
彼女の背中から純白の羽根が雪のように舞い落ちて、とうとう僕の胸に墜落する。
「私もあなたと同じ堕天使ね? 仁科恵留ってしたの。いい名前だと思わない? あなたが流織峰明、直ぐに流織恵留になるわ。今晩からあなたに夢は見せないわ。覚悟してね」
くすくすと君は笑う。
君の笑顔は今でも眩しい。
君が、僕を撃つ時に怪我をして、僕がその怪我の治るのを一番願っていたなんて、あの時君は知っていたかい? そして僕は何も彼もを思い出す。
君の名前。
僕の罪。
それでも僕は僕であり続ける他に道を知らない。
「それは素敵だ。僕には君が必要だって、分ったよ。随分長い時をかけてね」
「それは私も一緒よ? その内何故家出したのか教えてね。ママも、もう怒ってないわ。それから、こうして夢で逢うのはこれが最後。これからは昼も夜も一緒よ?」
目を覚ますと保健室。僕の隣に恵留がいた。
僕は恵留の手を握り現実を確かめる。
ようやく僕は僕のいる場所を見つけたみたいな気がした。
恵留の口がお帰りなさいと動く。
「ばかやろー、急に倒れてさー、心配さすなよなあ!」
友人が、目覚めた僕を見下ろして真剣に怒鳴った。
僕は少し照れてごめんとだけ言った。
反逆の罪を犯してまで、君が欲しかったなんて言ったら、君は信じてくれるかい? あの頃の君は、酷く勇ましくて勇敢で、とても愛しいくて。
それは今も変わらない。
ねぇ、僕の天使。僕たちの日常は、今これから始まるんだね……。
了
あとがき
珍しく、絵らしき物(自作)があったりする。
だけど、なんつうか判り難いわ…。小説が…(>_<)
一応、補足として(なんで小説に補足説明が?)
堕天使ルシファー と 大天使ミカエル の話らしいのだ(ーー;)。
じゃあ、ここで言うママって?? 後は想像にお任せしますデス。
生ぬるい話ですいませんm(__)m