もし、私が死んだらこの世界はどうなるでしょう
私が死んだその瞬間に世界も一緒に死んでしまうに違いありません 世界は私が存在したからこそ、 時間と言う概念の元にあり得たのですから 概念を存在意義として必要としていた絶対が滅びれば それは当然終わりを迎えるのです つまり、私の死は世界の死なのです 悲しむとか、悲しまないとか、 そんな次元の問題ではありません 私の死は、それまでそこに存在していた総ての時間を止めてしまう事なのだと言う事です 主体を失えば必然といえましょう 死んでしまった世界はどれほどあるのでしょうか 例え止まった時間を追憶に見たり 懐かしんでみたりしたところで、 それは私の時間でもなければ私の世界でもないのです 私が居ることで世界が動き、 私が必要としたから世界は存在した それだけの事だったのに 何を怖がって、何に怯えていたのでしょう 世界など、 所詮私の中にしか存在しなかったと言うのに 世界の残留思念の中で、生きていた頃の残像のように、 私は生きていたのかもしれません。 主体があたかも世界であったなどと言う滑稽な勘違いが、 私を世界が見ている夢の一部だと思わせていたに過ぎなかったのです ですから、何かに怯え何かを求めて喘ぐように、生きることを模索してしまったのでしょう 命を考えてしまったのでしょう 私の死は、世界を終わらせる事が出来るのです。 何もかもが終わってしまう それだけのことなのです。
*** ひかるあしあと *** |