■03 首尾一貫■
「貴方は、僕のどこを愛して下さったのですか?」
 アガレスの落ち着いた声が静かに流れる。古びた宿屋の一室。アンテクリストと向き合うアガレスの表情は、今までになく大人びて見えた。
「先程貴方は同じ顔と、おっしゃいましたね? 確かに貴方とバールベリト様は良く似ていらっしゃる。本当の従兄弟である僕や、兄妹であるフォルネウス達よりも」
 少年と呼ぶには似つかわしくない程の落ち着き。正直言ってアンテクリストは少し戸惑っていた。半年もの間ずっと見てきた少年の知られざる一面。
「僕は彼等に比べて比較的平和主義な方だけど、あまり度が過ぎれば本気を出しますよ?」
 温厚でおっとりした優しいアガレスも、さすがにこの図々しい人間に対しては、かなり頭に来ているらしかった。
「バールベリト様のまなざしや微笑み、小さな仕種のひとつひとつまでが僕にとっては愛すべき全てであって、同じ顔をしているからと言っても貴方は絶対にバールベリト様ではないのだから、僕は貴方を愛せない。最初にこれだけははっきり言っておきます。けれど一週間だけは貴方を、アンテクリストと言う個人を見つめて一緒に暮らします」
 アガレスはすっと立ち上がって窓の下に行き交う人の賑わいを見下ろした。
 小さな家々が所狭し立ち並び、幾つもの路地が迷路のように交差する町。とても狭くて忙しい暮らしぶりは、彼が時折遊びに出掛けた国の雰囲気とはまるで違っていた。もっとのんびりおおらかに暮らしていた。広い通りで遊ぶ子供達の喚声が懐かしい。
 人口もこれ程過密ではなかった。寿命の長い一族だ。出生率は極めて低い。王族だけは例外で、二人三人の兄妹を持つことがあるのは血が濃い為だとも、血を絶やさぬ為だとも言われている。
 血は、竜族にとって最も貴い。近ければ近いほど、その血は意味を深める。だからこそ逆転生が可能なのだ。
「……そうはっきり言われちまうとさすがに傷心するよなぁ。まぁね、俺も強引だったとは思うし、悪かったとも思っている。でもさ、一周間は付き合うって言ってくれんだから、俺は俺なりに全力投球させてもらうゼ」
 軽い溜め息とともに、アンテクリストはそれだけを言った。
 そして長い沈黙の夜が訪れた。

「アガレスがさらわれてしまいましたの? 早速フォルネウスが新しく買ってくれた鞭が使えるかしら?」
 待ち合わせの場所で合流した彼等は、それまでのいきさつをざっと話した。
 アタールが妙にキラキラした瞳で嬉しそうな微笑みを浮かべ、少し小首を傾げた困ったような態度も見せる。
 何がどうしてこう好戦的な兄妹に育ってしまったのか、一部の、彼等の剣の稽古を勤める者達の間では大いなる謎となっていた。
 過去にこれ程までに戦いを楽しそうに行う王族はいなかったはずた。彼等の親であるライウェンなどまったくの論外で、その驚異的強さを持っていること自体を恥じらうかのように、滅多に剣を取ることはなかった。
 アタラクシアに関しては、恐らく刃物に触れたこともなかっただろう。そう、己の命を絶つ瞬間まで。
「でも相手は血が薄れているとは言っても、同族の血を持っているんでしょう?」
 セティーソワルの肖像画の話を聞いて、いかにも残念そうに見たかったと呟いたフォルネウスも、さすがに同族の血を持つ者との戦いは避けたいと思っているらしくあまり表情は浮かない。
「短絡的にすぐ戦うという考えは改めた方が良い。一週間、そう一週間後には戻ってくる。アガレスはジャスティス殿の息子だ」
 ああ、と双子は頷いた。最近すっかり観光客と化していた彼等の使命は、ジャスティスと転生したセティーソワル、イェラミールを探し出すことだった。
 父親を探しているのだ。必ずアガレスは戻ってくる。
「そうですわね」
 少しばかりつまらなそうにアタールが呟いた。
 それに対して『しょうがない』と言う表情でバールベリトが微笑む。
「アガレスは絶対大丈夫なんだよね? フォルネウス」
 ソフィアの無邪気な微笑みの意味する所を知っているフォルネウスも、にっこりと笑った。
「そうだね。アガレスだもんね」
 そう、さらわれたのはアガレスなのだ。たとえバールベリトに良く似た相手であろうと、本人でないのなら危惧する必要もない。


 ザワザワと木立が揺れる。約束の場所へ行けば必ずアガレスを失ってしまう。
「アンテクリスト、この一週間で貴方を少し好きになりました。楽しい日々でした」
 苦悩する姿のアンテクリストの座る前へ回ったアガレスは、丁度目の高さが合うように床に膝を着いた。
「ありがとう。愛してくれて。それから、貴方の気持ちに答えれらなくてごめんなさい」
 そう呟いたアガレスの唇が、そっとアンテクリストの唇に重なった。ほんの一瞬。
「ア…ガレ…ス?」
 驚いたのはもちろんアンテクリストの方だった。信じられない行動。この一週間、一度もアガレスに触れることも適わなかった。
 それなのになぜ?
「遠くから眺めているより、近くにいて触れないことの方がよっぽと辛い。貴方が僕たちを見る前、僕も貴方と同じ苦しみを味わっていた。側にいるだけでいいなんて、見つめていられるなら満足だなんて僕は信じない。やっぱり愛して欲しいと望んでしまうものだもの。でも、これで貴方の想いをどうか思い出に変えて下さい。きっと二度と会わないから。 さようなら、お元気で」
 もう一度アガレスは彼に口付けた。そして爽やかな笑顔と共に、彼を残して部屋を後にした。残された男は、何も言えなかった。何もできなかった。
 ただ、座っているだけが精一杯だった。


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