■02 宣戦布告■
 何者かが自分達を付け狙っている。そう聞かされて始めて警戒の色を強め、アガレスはその存在が近いことを知った。
「どうやら目的は我らの方にあるらしい」
 別れた双子には何の害も及ばないだろうことを知って、バールベリトは細く笑った。
「さて、問題は我らのうちの誰が狙われているか、だな」
 と、楽しそうに笑うバールベリトの視線は、アガレスに注がれている。言葉とは裏腹に、目が語っていた。「狙いはおまえだ」と。
 その視線の意味することを読みとったアガレスは、情け無いほど表情を崩し、困惑する。
「案ずるな、お前は私が守る。その身に髪の毛程の傷も許しはしない」
 そう言ったバールベリトの真剣な、しかしどこかに含み笑いを秘めた瞳に、アガレスの体が紅潮し堅くなる。
 面と向かって「守る」などと言われると、もうそれだけで天にも昇るというもの。証拠に彼の鼓動の音が、側にいたソフィアにまで聞こえそうなほど早く高鳴っている。いつ止まっても不思議ではないと思えるほどの勢いなのだ。
「じ、自分の身くらい、じ、自分で、まも、衛れます……、から」
 たとたどしく言葉を必死に紡ぎ出すアガレスに、バールベリトは小さく笑った。
(可愛い奴……)
 胸のうちで呟く言葉を、声にしないのはせめてもの思いやりなのか、ただの意地悪なのか、無言で彼の肩を抱き寄せ、人気のない方へ歩き出した。


「さて、そろそろ良いか。ここならば大した被害も出るまい」
 バールベリトはソフィアを抱き上げ、近くの古い寺院かなにかの遺跡だろう壁の上へ座らせた。
「ここなら安全?」
「ああ」
 にっこりと笑って後ろを向く。
「アガレス、覚悟はいいな」
 小声で確認をとる。
「は、は……い」
 なんとなく弱々しい返事で、腰に差した剣をそれとなく確かめてから頷いた。しかし、どうにも腑に落ちない箇所がある。誰を狙うにも、半年間もあったのだ。空きがなかったなどということは有り得ない。すでになんらかの行動をとっていたとしてもいいはずなのだ。アガレスがいったいどれほどの恨みをかったのか、随分陰険なしつこい相手に睨まれたものだ。
「そこの、隠れていないで出てきてはどうだ? 半年も御苦労なことだが、そろそろ目的を伺いたいと思うのだがいかがかな」
 木立の間、草むらの暗闇に向かって不敵な笑みを向けるのは、もちろんバールベリトに他ならない。
 一、二秒の差があった。ゴソゴソと草むらがざわめき、一人の男が気まずそうに現れた。
「アンタ、最初から気付いていたのかい? ひでぇな、そうならそうと言ってくれりゃぁいいのに。ご親切な人だね」
 アガレスはその男の顔を見た瞬間、我が目を疑った。
 まるっきり髪を切ったバールベリトと言っても不思議ではないほどよく似ている。
 雰囲気や、どことなく感じは違うのだが、兄弟か従兄弟と偽っても、誰も疑いはしないのではないだろうか。
「アンタさ、バールベリトって言ったよね。ちょっと変なこと聞くけど、ご先祖様にブライって奴いない? こんな男なんだけど」
 と、唐突に肩に背負っていた荷物の中から、小さな額に入った肖像画を取り出してみせた。手にすっぽり嵌まる程度の大きさの肖像画に描かれているのは、 バールベリトにも、その男にも似た別の男の顔だった。
「モレク様にも似ている……」
 と、自分で言ってアガレスは慌てた。この男の先祖に龍族がいると言うことになることに気がついたのだ。
「昔、父や母が私を見ておっしゃられた。セティーソワル殿に似ていると。私は祖父に似たのだと聞いたが、なるほど、モレクおじい様によく似ているな……」
 ボソボソとアガレスに耳打ちした彼はマジマジとその絵を見つめた。ブライとは言ったが、おそらくこれはセティーソワル本人を描いた物だろう。
「うちのご先祖、この男に惚れちまって、意地でも子供が欲しい、この男に似た子供が欲しいってんで一晩限りのお付き合いしたらしいのよ。けど、ね、この男ってのが自分には愛する人がいるって言って、最初は断ったんだと、けど、女の一念岩をも砕く、だね。最後にゃ哀れに思ったのか、子供こさえてくれたって訳よ。もういい加減昔話しなんだけどさ、固執っての? それから二度と会えなかった男の肖像画こさえてさ、これがお前のお父さん、んでおじいさん、さらにはひいじーさんだって、とにかく代々伝わってたってとこに、アンタら一行を見掛けてさ、つい他人じゃないような気がしちゃったって訳さ」
 黙って聞いていたバールベリトは、内心、随分血は薄れてはいるが血族のひとりと考えられるのかどうか、そしてなによりここでも言われたセティーの愛する者が誰なのか考えると、知らずに眉をしかめてしまう。
「でもさ、そんなのは言い訳、口実って奴。ほんとはアガレスの方に興味あってさ」
 と、男は名乗りもせずアガレスの手を掴んだ。
「え……」
 呆然とした表情で、隣に立つバールベリトに無言の助けを求める視線を送る。
「気安く触るな。アガレスは私にとって弟も同じ。妙な真似はしないでいただこう」
 冷たくその手を払うと、自分の影にアガレスを庇う。
「あー、弟ね。なんか良く似ているけど、お育ちが違うようね、俺達って……」
 いかにもやりにくそうに愛想笑いを浮かべる男に、なおも冷たい視線が飛ぶ。
「我らの名を知っているのだ、いい加減名乗ったらどうなのだ? それとも己の名を名乗るなどという最低の礼儀も、ここでは無用なことか?」
 それは人界に降りて始めて見せた、王族の威厳。時期王たる者が醸し出す気高さと、城でさえも恐れられる彼特有の凍える視線。
「な、なに言ってんの……。怖い人だねアンタって人はっ。名乗る、名乗ります、名乗らせて下さい。だからそんなおっかない顔しないでよ……」
 三歩ほど退いて、男は冷や汗の吹き出してくる額を拭いながら、ひきつった笑みを浮かべる。
「俺はアンテクリスト。別に喧嘩売りに来たわけじゃないって。ほら、良くいうでしょ、色男、金と力はなかりけりってね」
 バールベリトは先程とはうって変わって呆れ返った表情で、アンテクリストと名乗った男の、自分と良く似た容姿を見つめた。
「生憎そのような言葉は聞いたことがないが?」
「あ、さいですか。そいつぁ失礼いたしやした」
 ヘラヘラした笑いを浮かべつつ再びアガレスの手を掴まえた。
「俺ね、初めて見た時からアガレス君に惚れちゃったのよ。好みなんだよねぇ。こんなおっかないお人の側なんかやめてさ、優しい俺んとこ来ない? いっそ乗り換えなって」
 軽くウィンクして強引にアガレスを引き寄せた。
「あ……っ」
 何が何だか分からぬ内に、アガレスはアンテクリストの腕の中にすっぽりと包まれる。
「ね、アンタ達の目的は何だか知らないけど、そんなに急いでいるって訳でもないし、アガレスは俺が立派に幸せにするからさ、いっそここで別れましょうよ」
 バールベリトではないことを頭で理解していても、見上げるとそこには焦がれ続けた端正な顔立ちがある。それだけで緊張してしまうのか、アガレスは身動きひとつできぬまま、腕の中でじっとしていた。それでも瞳だけはバールベリトに助けを求めて向けられる。
「さっきも言ったはずだ。アガレスは弟と同じだと。所詮住む世界が違うのだ。アガレスひとりこんな場所へ追いて行けるものか。ひとつだけ忠告しておこう。私を怒らせるな」
 と、言ったバールベリトの闇より浮かび上がるがごとく美麗にして秀麗な微笑みに、アガレスはすでに恐怖に支配されていた。
 あんな微笑みを浮かべて、剣に手が伸びていないことが不思議だった。否、好戦的な彼のことだ、丸腰相手に、しかもほとんど鍛えたことなどないだろう相手に対して、それ程の戦意は持ち得ないのかもしれなかった。が、何にしてもあの微笑みが怒りを現していることをアガレスは経験上良く知っている。
「確かにね、俺は立派な庶民様だけどもさ、愛に地位も身分もないでしょうよ」
 なおきつくアガレスを抱き締めると、アンテクリストも綺麗な微笑みを浮かべる。
「身分や地位などではない。世界が違うと言っただろう? それに相手の気持ちはどうするつもりだ? 先程から見ていればアガレスの意思を無視し過ぎているように見えるのだが?」
 慌ててその言葉に首を上下するアガレスに、バールベリトは一瞬柔らかな笑みを向ける。途端にアガレスの顔に火がついた。
「まーね。そりゃそうだけど、長く一緒にいるのと違って、俺のことなんか知らない訳じゃない? だったら俺の勝ち目ってないと思うのよ。そしたらアータ、無理にでも物にするしかないでしょ」
 アンテクリストの瞳がフッ、と座った。
「一週間後、ここで会おう。そのときアガレスの意思でどちらかに付いて行くかを決める。 そのくらいは許せよ。俺は半年も見て来たんだ。アンタがどれだけアガレスの気持ちを弄んでいるかをな」
 と、アンテクリストはアガレスを抱いたまま、高い木の上へ難無く飛び上がった。
「えっー!? バ、バールベリト様ぁぁぁ!!」
 虚しくアガレスの悲鳴だけが木木の間に飛び去っていく。
 人間技を越えた跳躍力は、やはり薄まっているとはいえ、竜族の血を継いでいる証拠だと見える。
「アガレス、きっと戻ってくるよね?」
 後ろで全てを見ていたソフィアが首を傾げてバールベリトに腕を伸ばす。その腕を取り、ソフィアを優しく抱き留めながら、バールベリトは確信に満ちた笑顔で頷いて答えた。
「フォルネウス達と合流する前にソフィアの洋服を買わなくてはならないな」
 人間の子供が、これ程成長の早いものだとは思ってもみなかったが、目に見えて育っていくソフィアの姿に、近い将来美しくなるだろうことを誰もが期待し確信していた。
 

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